忘却師 積極的忘却術

2025年スピードキュービングアドベントカレンダー19日目の記事として執筆した。
※過去のSpeedcubing Advent Calendarへの投稿は以下のとおり。
2016年 アフリカとキューブ
2017年 NSTの提案
2020年 中年の参入
2021年 目隠しキューブアート!
2022年 キューブアートマニュアル
2025年 積極的忘却術←今年

今年は、例年にも増して多くのスピードキュービング関連イベントを開催した。
以下は、2025年に関わった主なイベントの一覧である。

2025年は26回WCA大会のDelegateをした。年間代理回数・日本記録の更新である(笑)。くるくる会は16回、その他ハンガリーフェスティバルやイオンモールのイベントにも参画した。

仕事や生活を並行して送りながら、これだけの数のイベントを開催するには、
それ相応の責任に対する覚悟が必要になる。

イベントの日時が迫っていると、
物品の不足はないか、印刷忘れはないか、
迷惑メールに重要なメールが入っていないか、など
気が気ではなくなる。

それでも、参加者やスタッフの楽しそうな姿を見ると、
「もうやめよう」とはどうしても思えない。

くるくる会15周年の際にいただいた皆さんからの応援メッセージは、
間違いなく人生の宝物の一つである。

一方で、たくさんのイベントを回すということは、
同時に大量の作業を抱えることを意味する。

WCA大会を含むキューブイベントを行ったことがある人であれば分かると思うが、
キューブイベントには、ルーチンワークのほかに、
突発的なトラブルや個別対応が数多く発生する。
それらを一つひとつ処理していくには、
気合や根性だけではどうにもならない場面がある。

この雑務に抵抗を感じて、
運営側にまわらない人たちは多い。

これについては、私なりの解決策がある。

そう、私は 忘却師(forgetist) である。

覚えることはさておき、
忘れることには人一倍こだわりを持っている。

今回は、その「忘却」について、少しだけ紹介したい。


1. 一般的に言われている忘却

― 認知科学・脳科学の視点から ―

忘却は、長らく認知科学や脳科学の研究対象であり、
主に脳の構造と機能の観点から説明されてきた。

新しい記憶の形成には海馬が深く関与しており、
経験した情報は一時的に海馬に保持された後、
必要に応じて大脳皮質へと再配置される。

また前頭葉は、注意や意思決定を司る領域であり、
現在の行動に不要な情報を抑制する役割を担っている。
注意が向けられなくなった情報は、
作業記憶から外れ、結果として保持されにくくなる。

この過程において、
繰り返し使われない記憶は想起されにくくなり、
それが「忘却」として現れる。

一般的に忘却は、

  • 時間経過による記憶の減衰

  • 注意資源の移動

  • 使用頻度の低下

といった現象として説明される。

ここまでが、一般に語られてきた忘却の姿である。


2. 忘却師的発想

― 記憶と忘却は生理現象である ―

しかし、こうした説明には、
抜け落ちている視点がある。

それは、
記憶と忘却が生理現象であるという考え方だ。

記憶は、意思や根性で無限に保持できるものではない。
身体の状態に応じて生成され、維持され、
不要になれば自然に手放される。

この構造は、筋肉と非常によく似ている。

筋肉を鍛えるには、

  • 負荷をかける(トレーニング)

  • 休息を取る(回復)

この両方が不可欠である。
鍛えるだけでは筋肉は成長しない。

記憶も同じだ。

  • 覚える(記憶する)

  • 休ませる(忘却する)

これは精神論ではない
生理的に起きている反応である。

ところが、これまでの議論は
「どう記憶するか」に大きく偏ってきた。

どう休ませるか、どう忘却するかについては、
ほとんど語られてこなかった。

語られてきたとしても、

  • 時間が解決する

  • 気分転換をする

  • 別のことをして気を紛らわせる

といった、受動的な扱いに留まっている。

意識的に忘却するという発想は、
ほぼ議論されてこなかった。


3. 積極的忘却術

― 忘却を技術にする ―

以下、積極的忘却術の概要を示す。
これは、嫌なことを意識的に忘れ、
前向きな人生を送るための処世術である。

スピードキュービングに限らず、
あらゆる場面で応用できるテクニックなのである。

(1) 忘却マシンを作る

まず、自分専用の「忘却マシン」を作る。

掃除機、ほうき、ぞうきん、クリーナー、モップ、高圧洗浄機。
記憶を消すために必要そうな道具をすべて備えたマシンを想像する。

それは、
自分の記憶を最も効率的に消去してくれる、完全オリジナルの装置である。

忘れたいことが出てきたら、
そのマシンを起動するイメージを思い出す。

記憶を「消す」という行為を、
具体的な操作として脳に認識させることが重要だ。


(2) 1分ルール・メモ取り

1分以上覚えておかなければならないことは、必ずメモを取る。

「スマホを取り出してメモを取るくらいなら、
今やってしまった方がいい」という考えは、完全に誤りである。

  • 5秒後のことは、そのままやってよい

  • 1分以上先のことは、必ずメモする

1分以上覚えておかなければならないという状態そのものが、
小さなストレスになる。
その1分間、他の作業への集中力は確実に落ちる。

音声メモであれば10秒もかからない。
その10秒を惜しむことで、
脳に生産性のない負荷を無意識にかけ続けている人は多い。

重要なのは、

「1分以上覚えておかなければならないことは、スマホにメモる」

これを判断抜きで実行できる仕組みにすることだ。

思い出してほしい。
記憶と忘却は生理現象であり、筋トレと同じである。

筋トレの回復期に、
軽いからといって軽量のバーベルで暇つぶしをするアスリートはいない。
回復が遅れるからだ。

脳も同じである。


(3) 注意力を集中させず、増やす

集中力は有限であり、
対象を絞ることが重要だと言われる。

それ自体は正しい。
しかし、忘却という観点では必ずしも効率的ではない。

注意の対象が少ないと、
それらが互いに干渉し合う可能性が高くなる。

例えば、
趣味の仲間との人間関係で忘れたい出来事を抱えたとする。

集中できる対象がそれしかなければ、
忘れたいことに意識が戻ってきてしまう。

忘却を効率的に行うには、
集中力の選択肢を増やす必要がある。

「別のことをやって気を紛らわす」のとは違う。
忘却のために敢えて集中できる対象を増やしておくのである。

集中力を切り替えるのではない。
分散させるのである。

忘却したい対象への関心を、
他の関心事で薄めていく。

人間は、
集中の方向を自在に切り替えられるほど便利にはできていない。
だからこそ、選択肢を増やす必要がある。


(4) 環境整備

忘却には、向き・不向きがある。
そしてそれは、個人の性格や意思の強さだけで決まるものではない。

人間関係や環境そのものが、忘却に不向きである場合がある。

どれだけ意識的に忘れようとしても、
特定の人間関係や環境に身を置いている限り、
記憶が繰り返し刺激され、忘却が阻害されることがある。

この点について詳しく書き始めると、
さまざまな波紋を呼ぶ可能性があるため、
ここでは深入りしない。

ただ一つ言えるのは、
忘却を妨げている原因が
自分の内側ではなく、外側にある場合もある
という事実だ。

知りたい人は、直接聞いてほしい。


(5)積極的忘却による長期記憶

積極的忘却術は短期記憶に有効であることに加えて
長期記憶にも適している。

何度も繰り返して言うが、
記憶とは生理現象であり、
記憶を強化するのであれば、筋トレと同じように
負荷をかけ、休息することを繰り返さなければならない。

同じ量の記憶をするときに
忘却を効率的に行うことにより、その学習時間を短縮することができる。

スピードキュービングでは、長期記憶を必要とする場面は
新しい手順を覚えるときくらいだろう。

記憶し忘れる、これを高速に繰り返すことにより、より効率的に手順を覚えられる。

この考え方は資格試験や受験勉強にも応用できる。
これについては、不定期で開催している「グローバルスキル講座」の中で詳述するので、
興味のある方はそちらに参加してほしい。

4. 積極的忘却術と 5x5x5 目隠し

私は、スピードキュービングイベントを開催するために、
積極的忘却術を使って、大量の作業をこなしている。

日々発生する細かなタスクや突発事項を、
処理し、忘れ、次へ進む。
この循環がなければ、たくさんのイベントを回し続けることはできない。

一方、スピードキュービングの競技者としては、
目隠し競技の試技が終わるたびに、
積極的忘却術の忘却マシンを起動している。

前の試技のゴースト。
それらを次の試技に持ち込むことは、
競技においては明確なマイナスになる。

私が目隠し競技の前に目をつむっているのは、
集中しているからではない。
脳みその中の「場所」で、
忘却マシンが駆けずり回っているのである。

Ota BLD Autumn 2025 では、
この忘却マシンのおかげで
5x5x5 目隠しを成功させることができた。

記憶力が特別に向上したわけではない。
むしろ、年齢とともに
記憶力そのものは減退していると感じている。

それでも、老年に差しかかりながら
5x5x5 目隠しを成功させることができたのは、
積極的忘却術を駆使したからだと思っている。

覚える力ではなく、
忘れる力が結果を支えた試技だった。


おわりに

忘却は、
時間が勝手に解決してくれるものではない。

設計し、回復させ、扱うべき
生理現象である。

forgetist(忘却師)として、
私は忘却を、
受動的な現象から能動的な技術へと引き上げたい。

忘れることは、弱さではない。
生き続けるための機能である。

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