<伏線回収5>次男高校入学式

日吉の銀杏並木

長男と同じルート、近所の公立中学から慶應義塾高等学校への進学。
5年前コロナで保護者の列席が叶わなかった長男の入学式、家族で多摩川の河川敷に写真を撮り、その後長男は一人で日吉に向かっていた。今回次男は新調した制服を少し照れくさそうに着ていた。末っ子としていつまでも家では子ども扱いされていた次男も高校生となり日吉の銀杏並木を歩く。その姿を見ているうちに、時間の感覚がふっとねじれた。同じ日吉キャンパス。あの銀杏並木。あれは、自分がまだ18の冬だった。

高校三年生の冬

その冬慶應大学理工学部を受験した。試験当日、日吉キャンパスの銀杏並木は葉を落とし、骨のように寒々しく立ち尽くしていた。記憶に残っているのは、古びた校舎のにおいと、試験中ずっと隣でペンをくるくる回していた受験生の姿だけだ。そのペン回し君は、ペンを二回まわして一回落とす。律儀なまでに、それを繰り返す。イライラしていたのは自分だけではなかった。休み時間に他の受験生が声を荒げて指摘して口論になっていた。しかしペン回し君はその後もやめなかった。むしろ意地になった。言い合いの相手は、試験後の帰り際に涙ぐんでいた。試験の内容なんて、何一つ覚えていない。でもそのペン回しのリズムだけが、今も頭の片隅にへばりついている。そして、それ以降の人生で自分は「ペン回し」という行為に対して、どうしても良い感情を持てない。私のようなパズル好きの中にはペン回しを特技とする者も多くいるが、私は一切ペン回しをしないのはこの日吉での経験があるからだ。
その後慶應大学から合格通知は届いたが、自分は関西の大学を選んだ。ペン回し君があの銀杏並木の向こう側へ進んだのか、それとも別の道へ行ったのか、、、知る由もない。

福沢諭吉の精神

今、長男も次男も日吉キャンパスにいる。あの時自分が選ばなかった風景の中に息子たちが立っている。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」の一節の裏には、学問を通じて自由を勝ち取れ、という意志が込められていると聞いた。平等は与えられるものではない。自分で取りに行くものなのだ、と。年を重ねた自分もこの意味が徐々に理解できた気がするが、それをその発信地で学べる息子たちを少し羨ましい気持ちになる。彼らがそこで得る知見や経験を通して見上げる銀杏並木は、おそらく、かつての自分が見ていたものとは、まるで違う風景に映っているのだろう。

●死ぬまでにやる100リストNo.321「100本の人生の伏線を回収する」5本目

<死ぬまでにやる100リスト>https://goo.gl/iPz2BH
<自分年表>https://docs.google.com/spreadsheets/d/e/2PACX-1vSdChHgU_KyZr9IA_3jLTBo1VtFtJN8gf3WwyaT4N6XcJFubYmqdZ9h4xFVZS9wx288OYRMI822zBiK/pubhtml?gid=926937128&single=true
<伏線回収>https://forgetist.com/?cat=574

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