5x5x5 目隠し、今回ようやく公式の場で成功させることができた。
その価値を数字で語れば、あまりに偏った話になるのかもしれない。成功者は日本の全人口の、ざっと5シグマ(0.000028%)。その難易度を正確に理解できる人間は4シグマ(0.0032%)程度であろう。さらに対象を50歳代以上に絞れば、成功者は世界で19人。アジアでは3人。その価値はいかほどのものか?
5x5x5目隠し競技
記憶段階
普通に見かけるパズルは3x3x3パズルだ。動かせるパーツの数は26個となる。一方で5x5x5パズルの動かせるパーツの数は98個と3x3x3パズルの3.8倍となる。このパーツがバラバラになった状態を分析し、特殊な手法で記号へと置き換えていく。私の場合、その記号は「ひらがな」だ。およそ八十文字分。紙に書き留めることはできない。すべては頭の中で行われる。
バラバラのパズルの状態から、ひらがなへ、
ひらがなから、イメージへ、
イメージから、物語へ、
と変換する。たとえば「せけ」というひらがなの並びが現れたとする。それは「千利休(せ)」が「蹴る(け)」というイメージに姿を変える。千利休が足を振り上げる、そんなイメージが、記憶の奥に焼きついていく。そういったイメージをつなぎ合わせ、物語にしてく。覚えるというより、物語を脳みそに染み込ませる作業だ。八十文字分、その作業を繰り返す。外から見れば、ただ目を閉じているだけに見えるかもしれない。だが、脳の中ではとんでもなくドラマチックな物語が上演されている。
その物語が心に刻まれ、記憶が固まったと判断したとき、ようやくアイマスクに手を伸ばす。
実行段階
目隠しをしたままキューブを回す。必要になってくるのは逆変換だ。物語からイメージを思い出し、ひらがなに戻し、それぞれのひらがなを回転群へと変換する。専門的な話になるが、ひらがなそれぞれには固有の回転群が対応している。「せ」なら、B’ L’ B M2 B’ L Bの回転群が対応している。BとかLとかは回転する層の位置や回転の度合い(90°/180°)をあらわしている。これら回転群を事前にすべて覚えておくのである。つまり実行段階では、目隠しをした状態で、覚えたひらがなをひとつひとつ思い出し、それぞれのひらがなに対応した回転を行う、という行為となる。
この回転であるが、指の感覚とリズムが要求されることになる。記憶がいくら再現できても、指の動きが正確でなければ、失敗となる。実行段階ではキューブの状態が全く確認できない(目隠ししている)ので一回でも回転を間違えると気づかないまま何百回もパズルを回し、最後まで進んで目隠しを取った瞬間にバラバラになったキューブを確認することになる。長い時間、脳みそと指を酷使してきた後の残酷な時間となる。
公式大会
自宅では、何度か成功していた。集中力を要する目隠し競技、心地よい静かな環境、慣れた什器(椅子・机)が必要となる。
一方で公式大会の場となると話はまるで違う。何年も挑み続けてきたが、成功は訪れなかった。会場のざわめき、照明の角度、机の高さ、観客の気配。それらは微細な乱れとなって、難易度は体感で十倍以上に跳ね上がる。そしてなにより、私は大会の監督者(運営者)でもあった。自分の競技より、参加者を優先しなければならない。
過去二大会は「一文字違い」で失敗している。失敗した夜は、いい年をした大人がという自覚もどこかへ消え、悔しさにまかせて酒をあおった。
そして今回、Ota BLD Autumn 2025。二会場同時進行という、運営者としては神経のすり減る大会設定だった。朝から走り回り、自分の競技など考えている余裕はなかった。その忙しさが、むしろ良かった。力みが抜け、必要な緊張だけ残っていた。
目隠しをしたまま、記憶したひらがなをたぐる。集中はしていたものの、いつもの焦りはなかったと思う。そして、目隠しを取る。六面が揃っていた。
成功、27分10秒。
跳び上がるほど嬉しかった。もしこれが屋外のフィールドであれば、私は両手を掲げ、歓声に身を委ねていただろう。しかし会場は静かなままだ。目隠し競技者には、心の中で歓喜を自由に再現する術がある。頭の中では、私はオリンピックの表彰台で、湧きあがる歓声の中に立っていた。脳内にはアドレナリンとドーパミンが溢れ、世界が自分一人を祝福しているように思えた。
こんな体験は、人生のうちで、そう何度も訪れるものではない。特別な瞬間であった。だからキューブはやめられない。
〇死ぬまでにやる100リストNo.321「100の人生の答合わせをする」進捗18/100
<死ぬまで100リスト>https://goo.gl/iPz2BH
<こたえ合わせ>https://forgetist.com/?cat=574
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