<こたえ合わせ20>デフリンピックと最高の巡り合わせ

手話との出会いは、私の人生で最高の巡り合わせをくれた。

まだ大学生だった頃、大阪府池田市の社会福祉協議会を通じたボランティアをしていた私はは、地域の手話サークルを手伝ってほしいと声をかけられた。そこから私の手話の歴史が始まった。
最初に足を踏み入れた池田市の小さな夜間サークルは、中学生やお年寄り、近くの工場で働くろう者たちが集うアットホームな場所だった。お互いの家族事情や悩み等を共有しながら手話を勉強する特殊な空間だった。手話という手段を使えば、そこに秘密や照れは一切なく、素直な自分をさらけ出せる雰囲気があった。お花見や旅行なども企画し、みんなで楽しい時間を過ごしていた。猪名川の河川敷でBBQをするときは、許可申請を出した消防署の消防士さんがBBQに参加してくれて大いに盛り上がった。

1990年代半ば、「星の金貨」「愛していると言ってくれ」などの手話が注目を浴びるドラマが立て続けに放映されると、とたんにサークルが活気づいた。若い入会希望者、特に若い女性からの問い合わせが殺到し、大きな会場に活動場所を変更したり、手話のレベル別のグループを作ったりと、いろいろとたいへんだったが充実はしていた。

そんな手話の世界に引き込まれ、様々な地域の手話のイベントや活動があれば顔を出すようになっていた。その中で、あるサークルで一人の女性と出会った。それが、のちに私の妻となる人だった。当時異性と普通に話すことは得意ではないが、手話であれば何とかなっていたのだと思う。これが人生での最高の巡り合わせとなった。これ以降、「出会いがない」と嘆く知人には「手話サークルに参加しろ」とアドバイスするようになった。

時が経ち、現在は数か月に一回、地域の手話関係のイベントに顔を出す以外、ほとんど手話と触れる機会がない。今回、妻と東京2025デフリンピックのデフリンピックスクエア(代々木の国立オリンピック記念青少年総合センター)に見学に行った。選手の活躍の他、国際手話の体験もでき、妻と出会った頃の気持ちを少し思い出すことができた。そして何より手話で要求される「表情の豊かさ」について思い出しハッとした。手話は技術や知識も大事であるが、それ以上に表現力が要求される。最近表情を意識してコミュニケーションをとることをすっかり忘れていた。少し意識するようにしよう。

デフリンピックもいよいよ後半戦、デフリンピックスクエアで覚えた「がんばれ!」という国際手話で選手たちの活躍をテレビ越しに応援しよう。

〇死ぬまでにやる100リストNo.321「100の人生の答合わせをする」進捗20/100

<死ぬまで100リスト>https://goo.gl/iPz2BH
<こたえ合わせ>https://forgetist.com/?cat=574

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