<伏線回収4>食べることへの執着

20代前半、体重は54キロ、身長は169センチとかなり細身の体型だった。青年海外協力隊でガーナに赴任してから半年も経たないうちに、体重は42キロまで激減した。主な原因は主食であるバンクーが口に合わなかったからだ。バンクーはキャッサバとトウモロコシを練って発酵させたもので、トウガラシやトマトベースのスープで食べる。オクラや肉、魚、ジビエのネズミ(グラスカッター)などが入っている。このバンクーの酸味がどうしても好きになれなかった。

「別のものを食べればいいじゃないか?」と思うかもしれないが、当時のガーナの田舎では選択肢が多くなかった。時期が良ければフーフーやヤム芋が手に入ったが、一年中手に入るわけではない。首都で売っている「辛ラーメン」や国際援助で入ってきた割れたお米も入手できないこともなかったが、長屋の共同キッチンを使っていたため、ラーメンや米を料理すると近所の子どもたちがやってきて食事どころではなくなるため、控えていた。

暑いガーナでの教員としての活動で体力が奪われ、夜には強烈な空腹感に襲われたが、バンクーを食べる量は少なかった。その結果、体重はみるみる落ち、42キロという骨と皮だけの状態で二年間過ごすこととなった。当時はずっと飢えていた(※)。

あまり食べられなかった日の夜は夢を見た。大きな日本のスーパーで手押しカートいっぱいにお菓子やパンを入れる。冷蔵庫のない住居でも保存できるように生ものは手に取らない。腹が減っているので詰め組めるだけ詰め込む。いっぱいになったカートで喜んでいると、「財布がない」「レジが見つからない」「長蛇のレジ待ち」などのトラブルに見舞われ、そのうちに目が覚める。食べ物が入手できるという喜びと、それを手にできない苦しみを味わう夢だ。協力隊の任期後もその夢をたまに見る。特に大量に酒を飲んだ日に多い夢だ。気持ちの良い夢ではない。

こういった背景があるからかもしれない。「食べる」という行為は自分にとって特別なものとなった。周囲から見れば食べ物にこだわる異常な奴と思われるかもしれないが、一般的な人よりも食べ物について考える時間は長いと思う。好きな動画は食レポや大食いの動画だ。死ぬまでにやる100リストの項目には、一年間で餃子を1200個食べる、世界の料理を食べる、ミシュラン店10軒訪問など、数多くの食べ物に関する目標が設定されている。

つまり私にとって「食べる」ことに対する執着は、「美味しいものを食べる」という側面よりも、「食べるものを入手する」「食べる機会を得る」という側面の方が大きい。ガーナでの経験が私に特別な食べ物に対する感謝と執着を生み出し、食べることは単なる生存の手段ではなく心の満足を求める行為となった。

そして今、次はどんな美味しいものを食べようかと夢想しながら、当時の体重から30キロ増えた表示の体重計に乗る。

(※)当時の個人の感想。当時好きではなかったバンクーだが、2016年にガーナを再訪して食べた時、美味しく食べることができた。当時の自分の舌が十分に成長していなかったのか、或いは当時の環境がそういう気持ちにさせたのかは分からない。味覚は日々変化し、当てにならないものなのかもしれない。
<2016年>https://forgetist.com/?p=10630

●死ぬまでにやる100リストNo.321「100本の人生の伏線を回収する」4本目

<死ぬまでにやる100リスト>https://goo.gl/iPz2BH
<自分年表>https://docs.google.com/spreadsheets/d/e/2PACX-1vSdChHgU_KyZr9IA_3jLTBo1VtFtJN8gf3WwyaT4N6XcJFubYmqdZ9h4xFVZS9wx288OYRMI822zBiK/pubhtml?gid=926937128&single=true
<伏線回収>https://forgetist.com/?cat=574

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