<こたえ合わせ23>女子部コーチ

大阪大学体育会ソフトテニス部の祝勝会に呼んでいただいた。去年、女子部が全国国立大学総合選手権、いわゆる七帝戦で30年ぶりに優勝したとのこと。

30年前。女子部が同じ大会で優勝したとき、私は女子部のコーチをしていた。

コーチ時代

私がソフトテニスを始めたのは小学二年生のときだった。小学中学高校大学と、気がつけばテニスは生活の一部になっていた。高校受験、大学受験、大学院受験それぞれの直前の半年ほどだけはラケットを握らなかったが、それ以外はほとんど毎日ラケットを握っていたと思う。ソフトテニスは、生活の一部であった。

大学院に進むとき、女子部の後輩たちからコーチを引き受けてくれないかと頼まれた。その時私は研究室でロボットの研究をしていた。手話サークルを運営し、アルバイトもしていた。ギターを弾き、絵も描いていた。正直に言えば、時間はなかった。それでも一年という期限を決めて引き受けた。自分の中で、いちばん自己肯定感を上げてくれるものが、当時は結局ソフトテニスだったからだ。

女子部の専用コートは、豊中キャンパスのど真ん中にあった。情報教育センターと文学部棟の間。研究室から歩いてすぐの場所だった。午前午後、研究の合間にコートへ行く。夕方、またコートへ行く。試合前になると、日の出とともに誰かがいて、練習相手になり、指導をする。それが当たり前になっていった。

大学に出入りする業者の人や大学職員に、よく冷やかされた。若い女性ばかりの中に男が一人いる。それだけで、何か特別な風景に見えたのだろう、一人で良い思いをしている、と。だが、私にとっては毎日が挑戦だった。

このとき、私は初めて競技者ではなく、指導者としてソフトテニスに向き合った。経験も体力も違う。ソフトテニスへの向き合い方も違う。性別も違う。それまでの経験や実績は、指導にはほとんど直結しなかった。むしろ、まったく新しい世界だった。それまでほとんど読んでこなかった競技雑誌や指導書を読むようになった。技術や戦術だけでなく、メンタルについても学んだ。そして、少しでも練習に反映させようとした。

指導とは結局コミュニケーションということに気づかされた。狭い世界の人間関係は決して単純ではない。一筋縄ではいかない場面も、数えきれないほどあった。それでも、彼女たちの「うまくなりたい」「勝ちたい」という気持ちが、私を前に引っ張った。

連日の練習、週末の特訓、合宿、遠征、私は、彼女たちと一緒に戦っていた。

そして忘れもしない1995年の晩夏。東京大学が主幹校だった七帝戦。会場は、有明テニスの森だった。チームの士気は、異様なほど高かった。相手との組み合わせ、リーグ戦の星取り、各部員のコンディション、それらをギリギリまで考え抜きオーダーを組み替え、団体戦に臨んだ。「執念」という言葉が、いちばん近かった。

結果は6戦中5戦が②―1、ぎりぎりの勝負を拾い続け、全勝優勝。

ただし2位の九州大学の勝ち点は15、阪大は13。数字だけを見れば少し不思議な優勝だったが、優勝は優勝だった。決まった瞬間、本当にうれしかった。人生のハイライトの一つと言っていい。泣いている部員も含め部員全員が、とてもいい顔をしていた。あの顔は、今でも思い出せる。

その後も各地で戦い、私にとって最後の大会となった近畿六大学リーグ戦でも、彼女たちは優勝してくれた。私は完全に燃え尽きた。プレーヤーとしも指導者としも、やり尽くしたと思える瞬間だった。

祝勝会

それから30年後、七帝戦での優勝。大阪大学中之島センターでの祝勝会に呼んでいただいた。
会場で現役の優勝メンバーが挨拶に来てくれた。長男より年下の彼女たち。礼儀正しく、まっすぐで、こちらが身を正したくなるほどだった。そして思った。30年前、有明テニスの森で優勝したときのメンバーと、同じ顔をしている。努力が報われたときの顔。自分たちでつかみ取ったと信じられる顔だった。

式典の中で、前回優勝時のコーチとして挨拶をさせてもらった。また大阪高等学校全寮歌(嗚呼黎明は近づけり~♪)も30年ぶりに肩を組みあって歌った。不思議な気分だった。有明テニスの森で埃まみれのメンバーと組んだ円陣で感じた一体感と高揚が、よみがえってきた。

こたえ合わせ

女子部コーチとしての経験は、その後の人生に大きな影響を与えた。

まず、勝つことへのこだわり。30年前の女子部は、勝ちにこだわっていた。なぜそこまでこだわれたのかは、当時はよく分からなかった。今回の祝勝会で、現役の選手やコーチと話をした。彼女たちが大切にしているのは、「泥臭くても、ボールがツーバウンドするまであきらめないこと」「『チームで』何が何でも勝ちに行くこと」といったどこか昭和的な価値観だった。30年前も、きっと同じだったのだろう。そして、それは私が教えたものではない。むしろ、私が彼女たちから教わっていたのだ。

女子部コーチという挑戦は、私の中に挑戦する姿勢を残した。やってみるまで、得体の知れないポジションだった。実際にやってみると、心労の多い日々だったが、得られるものも確かにあった。「良いことと悪いことのバランス」とは、よく言われる。しかし、こうした経験はバランスで測るものではない。とりあえず始めてみる。そして、自分で経験したことを「良いこと」にしていく。そのプロセスを人生の早い段階で経験できたのは大きかった。青年海外協力隊に応募することを決めたのも、ちょうどその頃だった。

七帝戦の優勝は、プレーヤーではなく、監督者として得た初めての成功体験だった。もしこの経験がなければ、くるくる会を立ち上げることもなかったと思う。

30年が過ぎて、心から思う。女子部コーチをやって、本当によかった、と。

〇死ぬまでにやる100リストNo.321「100の人生の答合わせをする」進捗23/100

<死ぬまでにやる100リスト>https://goo.gl/iPz2BH
<こたえ合わせ>https://forgetist.com/?cat=574

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