毎年、母校の東京支部の同窓会に参加させていただいている。同級生だけでなく、先輩や後輩たちとも語らえる、数少ない機会だ。なによりも恩師の先生方に、直接お礼を伝えられる場であるということが、年々ありがたく感じられるようになった。
高校生時代
今年の同窓会には、音楽のT先生がいらしていた。久しぶりにお見かけしたその姿を前に、教室で聞いたビートルズや「サウンド・オブ・ミュージック」「アマデウス」の話が、一気に蘇った。地方の高校生だった自分にとって、T先生の話は国際的で先鋭的なものばかりだった。教科書の外に、音楽や映画、そして世界があることを初めて知ったのも、あの頃だ。
「バンドを組め」という課題が出たのも、T先生の授業だった。出席番号順に分けられた五人組で、数か月後の演奏会で何かを披露せよ、という。ただし、アカペラで逃げるのは禁止。私はギター担当になった。それまでハーモニカとリコーダーぐらいしか触ったことのない自分が、いとこから借りたギターを抱え、C–G–Am–簡易Fのコード進行を、ひたすら繰り返した。T先生は、エイトビートのリズムを途切れさせない方法を教えてくださった。
定期テストの時期にも、ギターを片手に化学式を暗記していた。
練習の終盤、問題が起きた。メンバーのひとりが突然、曲をCメジャーからD調に変えたいと言い出したのだ。当然私は反対した。セーハ(人差し指で複数の弦を押さえる技術)が、どうしても上手くいかない。それは当時の私にとって、まさに“鬼門”だった。バンドの雰囲気も一時ぎくしゃくしたが、T先生が「全部鳴らさず低音だけでいい」と助言してくださり、事態は落ち着いた。
演奏会は思いのほかうまくいった。文化祭でもやろうと意気込んでいたが、何かの事情で実現しなかった。
それでも、あのときの経験は確実に自分の中に残った。
ギター
大学に入って、初めてのバイト代で買ったのはヤマハのギター(LA-8J)だった。あれほど苦手だったセーハも、気づけば克服していた。三年生の頃には阪急服部駅近くの大野ギター学院に通い、「アルハンブラの思い出」を弾けるまでになった。今でも、ぼんやりしていると指がトレモロをしている。
アフリカにいた時は、現地の子どもたちと日本の童謡やレゲエを歌った。北京では、中国人の友人と「KURUKURU BROTHERS」というデュオを組んで演奏した。バンドでギタリストが足りないと言われて代わりを務めたことも、何度かある。本格的なギタリストとは言えないが、ギターを通して出会った人や機会は、数え切れない。全てT先生のおかげだ。
T先生
同窓会の会場で、T先生の前には長い列ができていた。順番を待ちながら、自分にとって先生がどれほど大きな存在だったかを改めて思う。いざ目の前に立つと、感謝しようにもそれを表す適切な言葉が思いつかない。先生はそんな私の手を何度も握りしめてくださった。ありがたかった。
同窓会というのは、誰かに教わり、誰かに支えられて生きてきたことを、思い出させてくれる時間だ。
また来年も、行こうと思う。
〇死ぬまでにやる100リストNo.255「小学校・中学校・高校・大学・大学院での旧友を100回温める」37回目
〇死ぬまでにやる100リストNo.321「100本の人生の伏線を回収する」14本目
<死ぬまで100リスト>https://goo.gl/iPz2BH
<同窓会参加リスト>https://docs.google.com/spreadsheets/d/e/2PACX-1vSdChHgU_KyZr9IA_3jLTBo1VtFtJN8gf3WwyaT4N6XcJFubYmqdZ9h4xFVZS9wx288OYRMI822zBiK/pubhtml?gid=1281422220&single=true
<伏線回収>https://forgetist.com/?cat=574
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